2006年09月、「しんぶん赤旗」に連載されました
東京都大田区の日本共産党区議候補、佐藤伸さん(32)はこの四年間、候補者活動をしながら百件を超える生活相談にこたえてきました。とどまるところを知らない庶民への負担増、弱い立場の人に過酷な小泉悪政の中で深刻な相談がますます増えたといいます。その現場を訪ねました。
じっとしていても汗が噴き出す蒸し暑さとなった昼下がり、大田区東馬込のアパートの一室に、肩の荷を下ろし、微笑みの戻った夫婦の姿がありました。
販売員の仕事こなくなった
昨年十一月に家電品販売員の契約が切れて以来失業していた、山川進さん(55)・敏子さん(70)=ともに仮名=夫婦です。
進さんは大手家電メーカーと直接契約し、一カ月から長いときは半年間、小売店に販売員として駐在。その社の製品の売り上げを伸ばすことを仕事にしてきました。
「三千万売り上げたこともあります。販売には自信がある」という進さんは、二十五歳でこの道に入り、バブル期には月百万円の収入があったこともあります。
その歯車が狂い始めたのは五十歳を過ぎてからです。雇用関係の法律が変わって間に人材派遣会社が入るようになりました。長年の信用と、つてで契約をとって仕事をしてきた進さんは、若者に比べると高い給与や年齢などを理由に、採用されなくなってきました。
そして、そのころから体調に変調を感じるようになりました。
糖尿病が出て、九十八キロあった体重が今五十九キロに。抜け毛が激しく、からだ半分がしびれる原因不明の症状も出てきました。
せっぱ詰まって手を出した、カードローンの借金も、夫婦合わせて三百万円になっていました。
月十万円の家賃も払えなくなり、手元には六千円の現金があるだけ。電気、ガスも止められる寸前まできていました。
共産党のビラあったはず…
敏子さんは体をかきむしりたくなるような焦燥感が続き、体調が悪くなったといいます。
そのとき、練馬区に住んでいた兄が大病をしたときに、共産党の議員に親切に助けてもらったと話していたことを思い出しました。「困ったときに助けてくれるのは共産党だよ」と。
書きかけのまま取ってあった、区民アンケート用紙が掲載された「日本共産党大田区議団ニュース」を見つけ出し、電話をかけたのが生活相談の始まりでした。
すぐかけつけてくれた佐藤さんの助けを借りながら、進さんは生活保護の手続きをすすめ、認定を受けることができました。
区議候補になる前は民商の事務局員だった佐藤さんは、多重債務の被害者救済などの経験は豊富です。カードローンからの借金も、不当な高利返済を解消し法定利息で支払うことで解決の道が見えてきました。
健康を回復し仕事がしたい
「私にもプライドがある。仕事さえあればこの苦境から抜けられるんだが」という進さん。
佐藤さんは励まします。
「まず病気を治して、それから生活を再建しましょう。私も力になりますから、あせらず進みましょう」
「四十五万七千円が返ってくることになりました。本当に助かります」。理容店を営む相川良子さん(63)は、昨年十一月に夫の一郎さん(69)=ともに仮名=が倒れて以来の、苦労がにじむ表情を和ませました。
意識が戻らず転院繰り返す
相川さんは、四十六年前に店を持ち、夫婦で理容店を営んできました。一郎さんは、七年前に交通事故に遭い、脳挫傷など命も危ぶまれる傷を負いながら九死に一生を得て、仕事に復帰するまでに回復していました。
昨年の十一月、トイレから戻ると「気分が悪い」と訴え、救急車で総合病院に運ばれました。その後のMRI検査中に容体が急変し、意識不明の状態になりました。
手術台が空くのを待って翌早朝、緊急手術を受けましたが、脳出血のほかに脳梗塞(こうそく)も見つかり、それ以上の措置ができませんでした。
それ以来、意識が戻らないまま、三カ月ごとの転院を繰り返しながら療養を続けています。そこに届いたのが、救急車で運び込まれた総合病院からの差額ベッド料請求書です。
十一月・四万一千円、十二月・二十一万一千円、一月・二十万五千円。「差額ベッドにするかどうかも聞かれていないのに…」。良子さんは途方に暮れましたが、仕方なく請求通りに病院に支払いました。
その話を聞いた店の常連客が「それは大変だ。共産党に相談してみたら」とすすめてくれました。
厚労省「通知」しめして交渉
連絡を受けた佐藤伸大田区議候補がさっそく訪ねて事情を聞き、良子さんとともに病院と交渉を始めました。
病院側は最初、救急車で担ぎ込まれた時、家族の一人が同意書にサインしたことを盾に、返還を拒みました。
佐藤さんは、厚労省の医療通知「保険発第185号」の「救急や術後で、症状が重篤で安静を必要とする、常時監視を必要とする」場合に当てはまり、差額ベッド料を請求してはならないケースだということを病院側に示して交渉しました。
結局、病院もそのことを認め、払い戻すことになりました。
良子さんは転院した病院からも差額ベッド料を請求されていました。佐藤さんとともにその病院と交渉した結果、九万円余を取り戻せる見通しとなりました。
良子さんは「これまで、お世話になった病院への支払いはきちんとと、歯を食いしばって頑張ってきました。医療費は一割負担でも、おむつ代などを含めると今後も毎月十二〜十三万円の支払いをしなければなりません。お金が返ってくるのはうれしい」と話します。
選択できると告げないまま
佐藤さんは、最近差額ベッド料の正しくない請求が目立つといいます。
佐藤さんのところに寄せられた、この問題での相談は六件に上ります。
あるケースでは、患者の死後、家族は二百七十万円を支払いましたが、そのうちの差額ベッド料百四十五万円を取り戻すことができました。
佐藤さんは語ります。「医療制度の改悪で病院も経営が苦しくなっていることもあるとは思いますが、患者家族に『どちらにしますか』と選択できることも告げない例もあります。不当な医療制度改悪に反対するとともに、働き手を失ったり、多額の医療費支出に苦しむ人々を、さまざまな制度も活用して助けたい」
ふらふらと立ち上がりながら、絞り出すような声で「仕事を下さい」。たまたま訪ねた初対面の党員に、その人はいきなりそういいました。
海田五郎さん(59)=仮名=。フォークリフトやクレーンなど重機の運転士です。
所持金は180円3日間水だけ
連絡を受けた佐藤伸大田区議候補が訪ねると、所持金は百八十円だけ。三日間水しか飲んでいないといい、歩くのも困難な状態でした。
海田さんは十年前、勤めていた会社から「不景気だから辞めてくれないか」といわれ、退職しました。四十八歳のころでした。
以来、仕事を紹介してくれる仲間を頼りに暮らしてきました。
収入が不安定になり、六年前から三万円余の国保料が払えなくなり、目、肩に痛みがあるのに病院にも行かずに過ごしてきました。この半年ぐらいは仕事がなく、家賃も三カ月滞納していました。
佐藤さんは、ふらふらする海田さんに付き添って、区役所の窓口に緊急支援、生活保護の手続きを要請しました。
記者は佐藤さんとともに海田さんを訪ねました。六畳一間のがらんとした部屋に、寝具が敷きっぱなしでした。今も腰痛、高血圧で病院通いを続ける海田さん。自身の身の上を語った後、こうつぶやきました。
「今の若い人の状態はきつい。会社は利益だけを考えて人を物のように扱っている。若い人が育つわけがない…」
無理がたたり病にたおれる
小川健一さん(65)=仮名=の場合は、病状に不安を感じた別れた妻が小川さんの姉に電話、その姉が「それなら共産党の人に頼もう」と連絡をとり、佐藤さんがかけつけました。
小川さんは医療技術者として開業して働いてきましたが、長年の無理がたたり、肝臓病に冒されていました。結局仕事も辞め、月十万円の年金だけで暮らしていました。
区役所と相談して緊急入院させることになり、生活保護も受けることになりました。
仕事さえできればと繰り返す小川さんに、佐藤さんが「まず体を治すことが先決だよ」と話すと、小川さんは涙をぽろぽろ流しながら「こんな私に親身に接してくれて」と。
落ち着いた生活を取り戻した小川さんはいいます。「貧しい人を助けるために努力する共産党に伸びてほしい」
昨年から、せっぱ詰まった緊急事態の相談が増えていると佐藤さんはいいます。
自己責任論が立ちはだかる
仕事をして必死に生きてきた人たちが、不況やリストラ、高齢を理由に仕事を失い始めています。体調が悪くても病院に行くことを我慢して、気がついたときは仕事だけでなく健康も失っていた、というケースが多いといいます。それでも、「仕事さえあれば…」と、生活保護の受給を渋る人がいます。“自己責任論”が福祉制度の利用の前に立ちはだかります。
佐藤さんはいいます。「『困ったときは共産党』と駆け込んでくる人がいます。私たちはその期待にこたえたいし、共産党員だからそれができるという自負もあります。悪政に苦しむ人たちの声に耳を傾け、その苦しみを少しでも軽くし、政治に反映させる告発者として活動し続けたい」