プロフィール・実績

●1974年 岩手県水沢市(現奥州市)生まれ
●1993年 大田民主商工会に勤務
●2007年 大田区議会議員(3期10年)
●憲法改悪反対大田区共同センター幹事。大田区から原発ゼロアピール運動事務局員。党大田地区 市民と野党の共闘推進部長
《家族》看護師の妻と3女1男
《趣味》読書、史跡めぐり
《尊敬する故郷・岩手の偉人》宮沢賢治、深沢晟雄、アテルイ

4人の子育て真っ最中パパ――待機児解消へ、区政動かす

佐藤伸は、看護師の妻とともに12歳、10歳、7歳、5歳と4人の子どもを育てる子育てパパ。4人との早朝散歩を日課にしようとがんばっています。この間、「どの子にもよりよい保育を」の思いを区政に届けてきました。

大田区議10年、区政を動かし認可保育園30園増える

 佐藤伸は、区議として認可保育園の増設で待機児解決を提案してきました。区政が認可保育園には消極的だったときから、安心できる子育てには、認可保育園増設がどうしても必要と訴え続けました。その結果、増設テンポは佐藤伸が区議になってからの9年間で、認可園が30園・約2450人分増えました。認証保育園の保護者負担の軽減補助の拡充も実現しました。

区内認可外保育施設での死亡事故 ママたち・かち都議とともに、小池都政を動かす

 2016年3月に区内の認可外保育園で、生後6 ヶ月の女児が亡くなる事故がおきました。佐藤伸は、状況調査・東京都との連携などを大田区に求めました。日本共産党のかち佳代子都議は、ご遺族の方やお母さんたちの願いを都議会で取り上げ、小池知事は1700施設を年1回、巡回指導するなど、指導・監督の強化を答弁しました。

19歳のとき、大田のモノづくりに感動 ロケットを飛ばす町工場を守りたいと岩手から上京

 佐藤伸は、19歳のときに、共産党の上田耕一郎参議院議員(当時)が、大田区のモノづくりが円高不況で廃業に追い込まれている問題を国会で追及している姿をテレビで見て、ロケットの部品をつくれる町工場の技術力に感動しました。父親から、大田区の民主商工会という業者団体で事務局員を募集しているよと言われ、大田のまち工場を守りたいと上京しました。

大田の業者団体に就職し10年間中小企業支援に全力

 大田民主商工会では、まち工場などの営業と暮らしを支える活動をコツコツとやっていました。ロケットの部品をつくる工場やルマン24時間耐久レースに参加した大手自動車メーカーのエンジン部品をつくる工場などが廃業していくことにショックをうけ、政治の力で何とかしなければとの思いで区議会議員への決意をしました。

区議になり全事業所の実態調査を実現

 区議になり民主商工会時代の経験を生かして中小業者支援に全力をあげています。カギとなる商業、工業など全業所の実態調査を区に要求。区はあれこれの理由で拒否しましたが、廃業が相次ぐ実態をつきつけ、拒否する理由をうちやぶり、ついに2014年に全事業所調査が実施されました。その調査結果を大田区の施策に生かすよう、くり返し提案しています。

◆リフォーム助成を実現

 建設業者のみなさんの要望にこたえ、佐藤伸が区議になってから共産党はリフォーム助成制度の創設をくり返し提案し、2012年度から実現しました。助成件数が、この5年間で3倍に増えるなど、大変喜ばれています。